安部公房
以前もリンクした安部公房のインタビュー。何度見ても本質的で、素晴らしい内容をさらっと言っている。地図になぞらえて、「無限の情報」という話をしてそれが入っていなければ作品とは言えないという部分。とても普遍的で、小説に限らず全ての表現活動に言えることではないだろうか。
見る度に発見があるのだけど、今回は後半の「他者とは何か」「他者との通路を回復しない限り、人間の関係というものは本当のものはできないんだ」という所が心に染みた。
「他者との通路」という言い回しが独特で、とても安部公房らしいと思った。結局人間は生きている限り、他者とのコミュニケーション、社会へのコミットは避けられない。でもそこには確実に壁が存在しているわけで、完全なる相互理解があり得ないということを前提に考えるならば、全く無駄にすら感じてしまう。何をやっても理解し合えないので無駄ということになる。
でも人間の面白くも素敵なところは、最終的にディスコミュニケーションになって失い続けるのが分かっていながら、コミュニケーションは止められない所ではないか。どうせ他人が自分の思い通りになる訳がないけど、一瞬でも他者との通路の回復ができる幻想を見てしまう。実際一瞬だったらあり得るような気がするけど、それすら幻想かもしれない。
年を重ねれば重ねるほど、と言ってもそこそこ若いけど、コミュニケーションの問題ってすごく気になって来る。昔は勢いで押していたけど、他者には当然ながら「心」や「気持ち」というものが確実に存在していて、それを蔑ろにしたり、踏みにじったりすれば他者との通路は回復しないということが分かってしまった。
しかしながらいくら他者を慮ったところで、他者は全然気にしてくれないかもしれない。それどころか、こちらとの通路をひたすら埋めようとしてくるかもしれないのだ。そこの思いの差異に作品を作ったりするモチベーションが落ちているのかもしれない。絶対にクリアできないことだからこそ、考えなくてはいけないことなのだ。
「人間ってしょせんいつでも何かを失っていく方が幸せだと思った」
その通りだと思う。何でもかんでも手に入れて行くのは無理だ。酷い目にあって、失い続ければ手に入るものもあるだろうし、失って精神的に辛かったとしても、どうせその内時間が経てば忘れてしまう。記憶には残るけど、痛みや悲しみはほとんどなくなっていく。そんなものだ。
ただ、失ってしばらくは酷く傷つくし、辛い。その中でまた、全然違う他者との通路の回復作業も始まるかもしれないし、何だかグルグル思考が回ってやっぱり答えなんて出やしないや。少なくとも安部公房はやっぱりものすごい作家だったというこは分かった。

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